石見銀山鞆ヶ浦道①
2018年 03月 06日
世界遺産10周年記念事業
「石見銀山争奪の歴史」講座も残り二回
3月4日(日)
~上野・乙見千軒と鞆ヶ浦を結ぶ銀山街道
に参加
8:30大国まちづくりセンターに60人が集合
tombeeも初めてのコースに興味深々
鞆ヶ浦道は大内・尼子の時代に使われた街道
当時は製錬してない銀鉱石を運んだらしい
4班構成でバスに分乗し
どこだらわからんような場所で下車
車道をちょんぼし歩くと
これが鞆ヶ浦道だでなん
ほどなく胴地蔵
首のない地蔵を想像しちょったが・・・
馬を引く使用人が役人の目をかすめて銀鉱石を盗んだ
バレてその場で首を刎ねられた。
見せしめにの無残なな遺体が打ち捨てられていた。
近隣の村人達が不憫に思い葬って地蔵を祀った。げな
胴地蔵の裏の椎の大木
枝を切ったりなんだりしたら
祟りがあーだげな。
街道をちょっと外れて・・
椿の大木
広い水田跡
ヤギがメーメー走る
この辺りは上野千軒ててゆーて
よーけ家があった集落だっただげな
東に広がる上野千軒
要害山(山吹城)の後ろが銀を産出した仙ノ山
山吹城を執ったものが銀山を制した
だけ・・銀山で戦をすることはなかっただでなん
広大な敷地の奥に立派な旧家
尼子が山吹城を執ったころの山吹城の御典医だった
小笠原家
現在もお住まいでこれから先は立ち入られぬ
広大な屋敷を現在も維持されているのはご立派
続きはあした
ごきげんよう さようなら
・
一寸したウォーク並みですね。
胴地蔵、そんな所に死体を転がして置かれたらいい迷惑!
片付けざるを得ないです。
鞆ヶ浦道、荷車で運んだんじゃないんですね。
いやはや、500年前の石見銀山鞆ケ浦道なのですねぇ。
そうそう、大国の上野は、凄いところですね。あの頃は、馬が主流ですものね。馬継場があり、上野千軒も本当だったのでしょうね。御典医の小笠原家が今も健在なんて嬉しいですね。
私も、あの上野からの展望は素晴らしかったです。
ちょっとしたウオークでもこんなにいるのかな?
鞆ヶ浦道・・ガイドさんがいないと辛いものがあるようです。
迷惑でも見せしめだから。。
役人の許可をもらって埋めたそうです。
馬がメインだったようですよ。
馬繋の地名が残っとるげな。
ごきげんよう
初めての鞆ヶ浦道・・興味深々
あらためて往時の繁栄に思いを馳せました。
行かれたんですね。
小笠原家がこの場所で続いてることに感動です。
維持していくことの大変さ・・
嬉しいですね。