エキ・カラ久手駅
2017年 09月 10日
9月3日(日)
午前中は大久保間歩
午後からエキ・カラ久手駅へ
大忙し
エキ・カラ
100周年を迎えたJR山陰線
今回は久手駅から波根西の珪化木を訪ねるウォーキング
高砂(たかすな)会館
現在は原口区・駅前区の自治会館として使用
昭和9年に「久手信用購買販売利用組合会館」として建設された
当時としてはとってもモダンな木造4階建
設計は久手出身の岡田孝男氏(京都帝国大学卒)
スパニッシュ様式を日本に紹介した武田五一教授に師事
大阪・三越住宅建築部時代の設計らしい
その後 久手町役場(tombeeが子供のころはそうだった)
大田市役所に業務が移ってから自治会館になったのかな?
久手港へ
久手港が整備築港されたのは昭和三年
市場から繋がる内側の防波堤が老人波止
三角形の波消しブロックが先端に残る
築港工事で相当の数の珪化木が揚げられたらしい
この海底ごろごろしちょったげな
久手の廻船問屋のひとつ岡田家の本家
蔵兼用の土塀も今は廃屋
岡田分家を経て
魚見から久手の街並み
中央に高砂会館
机島へ
国の天然記念物「波根西の珪化木」
1300~1500万年ほど前の樹木が石化したもん
日本海が形成された頃に海岸付近の火山活動の
土石流で押し流され堆積した
この海底にはまだまだたくさんの珪化木が転がっちょーげな
珪化木:材の組織に珪素が沈殿して有機物と置き換わったもの
成分的にはメノウやオパールに変化しえいるげな
炭化した黒い柔らかいもんは珪化木になり切れなかった
火砕流で流されたもんだげな
秋の波痩せて細りし珪化木
歩地爺
苅田神社
竹下弘翁頌徳碑の台座が珪化木だった
灯台元暗し・・知らんかった。。
掛戸
たびたび洪水になる波根湖の水を排出するために
鎌倉時代に有馬次郎左衛門が7年かかって開削しただげな
大正時代の潮止め堤防が残る
tombeeが生まれた昭和25年に干拓が終わった波根湖
湖水を排出した干拓事業は日本初
右奥が排水機場
ここの経験が八郎潟に行ったげな
tombeeが卒業した久手中学校は
国体の時島根県唯一の競輪場に変わった
最後は久手小学校エントランスの珪化木
久手築港で引き揚げられ
岡田さんちにあったもんを
寄贈しちゃったもんらしい
久手小学校校歌三番
♪景色妙なる 掛戸の地
神秘ただよう けい化木
愛の山河の ふるさとに
文化の花を さかすのだ
ぼくも わたしも 誇りもて
さあ 希望の歌を歌おうよ
次回エキ・カラは9月18日静間駅から鬼岩
彼岸花がきれいだろうが・・
tombeeは行かれんだに。。
ごきげんよう さようなら
・
街並みに、古い石州瓦の家並が見えます。
立派な珪化木、大きな森が沈んだのでしょうか。
相変わらず毎日忙しそうですね~!
よくやりますねえ!
一生懸命生きるって事は一生懸命死ぬって事ですよ。
高砂会館今でも立派にモダンな建物です。
80年前にこの設計は凄いなあ。
その次の画像で背中を見せて居るのはTombeeさんかと思っちゃいました。
硅化木は東海環状自動車道の工事でもゴロゴロ出て来たそうです。
今でもS/Aに直径1m位のが5個位置いてありますが、皆さん素通りです。
私は長さ30㎝位のを昔能登で買って来ました。
このあたりの山陰線の駅・・すべてが100周年です。
駅舎は建て直してないと思います。
この姿のままだと思います。
研究は進んで大まかなことは解っているようです。
仁万海岸にも大きな珪化木が横たわっています。
ちょうど日本絵画でき始めたころのことらしい。
はは^^ 元気がいいですね^^
設計の岡田孝男氏は当時の久手信用購買販売利用組合の組合長の子息だったようです。
背中を見せるのは三瓶自然館の地学の学芸員のnakamuraさん・・
小豆腹の埋没林の発掘に関わった方です。
国の天然記念物の珪化木は確か全国で4件くらいだったかな。
30cmなら1万円くらい?
はは^^ 了解ですお姉さま^^
これも歴史?かな^^
日本海誕生のころらしいから・・
天上界から見てまだ泥状のころじゃないの
久手小の校長さん・・講師を招いて珪化木の話をしてもらう計画をお持ちです。
いいことですね。
うふふ。tombeeさんも、とんと昔の物語がお好きなようですね。さてさて、何処までお連れ致しましょうか。
私は、時々、タイムカプセルに入ります。
中世の時代にも、大久保間歩の時代にも、仙の山のマチュピチュ村にも、行けますよ。なんてね。
駄作です。
☆ 今あるは とんと昔の ものがたり
あれやこれやと 夢うつつなり 亀婆
久手小学校校長!お目が高い!