旧波根湖南巡り②
2016年 12月 20日
①でルートを張り付けるのを忘れちょりました。
そもそも波根湖に水が入り始めたのは4万年前だったげな。
4万年前といえば、三瓶山の火口の直径が5kmあったころ。
一番広かったのが氷河期が終わった6千年前縄文海進期
今より海面が10数メートル高かったげな。
式内社神辺神社を出て・・波根湖のヘリを歩く。
向こうの山は鳥越氏の鳥越城跡
荻野氏の菩提寺安養寺の本尊阿弥陀如来(近江から飛来したと伝えられる)であったが、
荻野氏滅亡後は堂塔も破損、大願を発して近江堂を建立大仏弥陀を奉遷して現在に・・・。
浄土真宗大願寺(大田)の末庵だと。
堂の裏手に地蔵堂
この羅漢さん 石見銀山の羅漢寺の五百羅漢そっくり。
福光の石工坪内平七氏の作か?? 保存状態は近江堂の方が上。
五百羅漢を拝顔するのに、世界遺産登録後は500円必要だけど・・・
ここはタダですよ^^
ここで高速道の山陰道が横断するんです。
傷痕の痛々しいこと。。
ちょうど屋根瓦を落として解体中
山陰道の立退き解体冬の空
解体の句友の家や柿ふたつ 歩地爺
右の山は飯盛山、この後ろが大田城があった城山
全国どこにでもある飯盛山は・・・
狼煙台があった山だげな。
足助の香嵐渓の飯森山、その奥に城があったなぁ。
続きはあした。
ごきげんよう さようなら。
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道路工事で立ち退きは辛いですね。
これも新しい発見だったようです。
て事はスゴク小さいって事?
飯盛山の奥の足助城が在るのは真弓山です。
山梨にも飯盛山は有りますよ~。
画像をみて句を作るんですね。
凄いなあ!バカには真似が出来ません。
俳句はサッパリ解りませんがTombeeさんの句を合体させてみました。
友の家の立ち退き解体愁い柿
うふふ。古代の道、想像するだけでも、先代達の生きざまが偲ばれます。近江堂の裏手の地蔵堂の16羅漢尊者様は、石造りでしたか。焼き物ではなかったですか。上から赤茶の衣が塗られ、袈裟が群青で塗られているようです。
先人達は、あっちこっちに、地蔵堂や薬師堂やお大師堂、芋代官の碑などなど、平和、安寧を祈願していたのでしょうね。現代人も、うふふ。静かに「只管打坐」を致しましょう。義理母の死に様は、生き様でした。合掌です。
古道・・あちこちにそのまま残ってるんですね。
それが途切れないで通っているのがすごい。
十六羅漢は福光の坪内石材さんの御先祖さんお作ですよ。
大森の岩屈は湿気が多いために傷みが激しいのかも。
いつ塗られたものか解りませんが鮮やかでした。
只管打坐・・雑念なしに・・tombeeにはできるかな??