岩山城
2016年 01月 20日
ドアを開けるのも一苦労^^
ドア周りの雪氷を落として、思い切り引っ張って・・・
バキッと音を立てて・・・・・^^
窓を開けても・・・窓にへばりついた雪氷が立ったままだに^^
どんどん叩いたらヒビが入りました。
手で壊した窓の窓^^
1月15日(金)久々に郷土の歴史勉強会に参加
以前行ったことのある岩山(岩山城)と今回初めてだと思っていた段山(刺賀城)。
(過去記事を調べたら・・段山にも行っちょーことよなん。。)どがもならんに。。
極楽寺Pに集合
山陰道の工事現場を横切ぎらせていただいて・・・・
手前の田圃は波根湖干拓地
重機向こうすぐ家屋は波根湖の岸辺ですね。
不要な山陰道がせっかくの自然をじゃじゃくちゃしちょーに。。
岩山城主多胡辰敬さんの嘆き声が聞こえてくるようだに。
このテラス、集合場所だった極楽寺の跡だとなん。
昔はここにあっただげな。
商売とはいえ・・・重いカメラ抱えて・・・
カメラマンさんも大変だに^^
平成の初めころはこがな木々は生えちょらんだったげなに。
薪炭の時代には山の木々も循環しちょっただに・・・。
世の中便利になると・・・・・・・。。
岩山の標高は96m
こがな穴が4つ確認できました。
左奥が矢滝城山で・・・
手前の小高い丸いのが銀を産出した仙ノ山。
寺社の跡や馬場跡やらがあるだげな。
岩山城のとっつきも向こうだっただげな。
午後から行く城跡だに。
下山・・・
今の極楽寺はここから引っ越しちゃったもんだげな。
山陰道をどうぞ
みんな道路に下になーだに。
昭和の遺跡はこちら(クリック)
この続きは またあした。
ちなみに・・・前回の岩山城記事はこちら(クリック)
多胡辰敬はこちら(クリック)
ごきげんよう さようなら。
全国的に大雪になったようです。
こちらも今朝は凍結していて歩くのがたいへんです。
怪我人がまた増えるかもしれません。
凍てつく雪を割って、その枠から覗く雪景色って、ポエムですね。
tombeeさんのセンスアップですね。
ほぉ!戦国時代にタイムスリップですね。岩山城、多胡辰敬城主ですね。
円光寺方丈様の十八番です。
実は、当山も戦国時代は、山口町では一番高いお山に有ったようです。
お寺跡には、石垣がしてあり、見事なものです。
だから、どのお寺も、山号がついています。
我が家のお寺も、雲洞山と山号がついています。
うふふ。ブラタモリのようですね。
山陰道も高速でしょう?必要不可欠でないのですか?
北海道にもこんな所に必要ないのでは?と思う高速道を延ばしています。
道北の名寄以北は国道の車通行量が少ないのに稚内迄。
札幌から小樽までは便利で使いますが、その先余市まで今工事中。国道の他にフルーツ街道もあるのに自然破壊と税金の無駄遣いにムカッとしてるのは私だけなのかな~(??)
子どもの頃には知らなかった故郷の歴史、とっても楽しいですよ^^
積雪で残った雪・・気温が低いといつまでも道路は危ないですね。
こちいら、海浜の湯子はすべて消えましたが、山間部は轍が残ってより危険です。
窓の窓・・あなんん初めて^^
三瓶ててすごいとこですね^^
多胡家家訓で有名な多胡辰敬さんです。
寝返りが当たり前だった戦国の世に、
最後まで尼子を貫いて名を残したことでも有名です。
瑞応寺も山の上だったんですね。雲洞山、山号がいいですね。
確かに ブラタモリ^^
知らなかった故郷の歴史・・楽しい^^
子どもたちにまた伝えなきゃ。
山陰道・・高速です。国道9号で事故が起こると脇道が狭くて迂回路がないから必要と云う人がいます。
既存の旧道の幅を広げた方が安上がりで早いと思いますがね。
大した使わん道路、作ればまた維持費まで必要になります。
困ったもんです。
そがだったかいなん。
今の9号線は、tombeeが出てからできたもんだっただかいなん。
山陰道ができたら・・大田やら撮り残されて死んでしまうでなん。
散歩しながら見る大西の山が泣いちょーに。
本和田の川のホタルも消えてしもたに。。