大人の遠足*富山歴史探索*①
2012年 05月 28日
富山・歴史探索コース
要害山(重蔵山)・・柱状節理・・土居・・高原の椎木
を歩く8kmのコース
富山町神原畑からの重蔵山(左)と三瓶山
参加者26名、開会式のあと出発
重蔵山へ
品評会の会場・・八重山神社の境内
地域活性化事業かなんか?
今でも焼いています。
タケノコが竹の高さになってました^^
2000万年前の噴火により流れ出た溶岩が冷えるときに割れてできた「柱状節理」
この柱石が山城の土台の一部として、また当時の戦いの防壁として大きな役割を果たしたものと考えられるげな。
要害山っての・・全国どこにでも・・・
地図を作るとき、名前がはっきりしない山城があった山は・・要害山にしたらしい。
右端は鶴降山
土居というのは殿様の居住地のことらしい。
低いけど360度の眺望が利く山
よって・・銀山争奪戦の重要な拠点のひとつ
一、要害山は重蔵山と称し、戦国の代、富永山城守元保の居城であった・・・よって富山^^
一、石見出雲の国境に位置し、要害堅固であったから、
尼子・毛利両氏の大森銀山争奪戦の戦略上重要な拠点であった。
一、富永氏は初めは尼子、後に毛利型。強い方へ寝返るのは当時のならい。
あっちにふらふらこっちにふらふら。
1570年に尼子勝久の大軍を国境で食い止め偉功を立てた、
家臣竹下忠兵衛が毛利の将小早川隆景から感状を受けている。
一、山麓には馬場屋敷跡が無数に残っている。
富永氏は後に備中笠松城に転じたと伝えられる。
げな。
この続きはまた明日。
要害山・・・そうなんだあ・・・。
あの頂上でお花見するって言う知人もいたけどしんどいんだね・・・。
足腰を鍛えて、地元の歴史を知り・・・言うことなし~~ですね。 何より楽しそう~~~!! (^o^)/
確かに・・遠足ってのは・・郷愁というか、追憶っていうか、響きが良くって、耳に優しい言葉だよね。
地元のこと・・・ほとんど知らんで育った世代ばっかりが集合^^
知りたいときには・・古老が無くなってて・・記録がなくて・・・。。