銀山ウォーク沖泊道②*西田集落*
2017年 09月 20日
①からの続きです
銀争奪戦の時代、尼子は馬路鞆ヶ浦港を
毛利は温泉津沖泊港を銀の積出港とし
江戸期になって徳川は陸路中国山地を越え尾道から
中国へ更にはヨーロッパへと石見の銀は駆け巡ったんです。
今年は石見銀山世界登録10周年で
石見銀山ガイドの会の有志が企画したこのイベントも
記念事業のひとつです
来年もやるそうだから
皆さん参加してくださいね。
これ・・明治期に作り始めた国道9号線の跡らしい
理由は解らぬが途中で中止され現在のR9
海岸沿いに変更になった模様
政権は昔も今も税金の無駄使いがお好き
森を抜けるとアスファルトの舗装道
また昔道に入る
小川の傍らに「どこだらのなんだら地蔵」
はにかみの謎の微笑が有名らしい
宿場町西田
2011年の記事をどうぞ
↓
もういとつ、今年7月の記事
↓
12:15 ヨズクの里
今回も美味しい西田粥をいただく
写真と解説は↑前回記事でどうぞ
西田の集落
雲がかかってり山が矢滝城山
ヨズクハデ第一号
ヨズク会館横はまだでした。
クサギ
堂床山山体崩壊山津波が起こった場所
馬子が休憩した場所らしい
平らな岩の上に将棋盤の彫跡
「清水の金柄杓」
代官さんが旨さに感動して当時は貴重な金の柄杓をやったげな
飲んでみたけど、まげになかった
続きは明日
ごきげんよう さようなら
・
私の故郷ではハデでなくハゼと呼んでいます。
数本の柱を立てて横木を渡し、それに刈り取った稲を
かけて干します。
稲の後はソバや大豆などもかけました。
温泉津までの間に大きな登り窯がありました。
この先でしょうか?
クズ粥がイマイチ判りません。
どうも私には苦手な食べ物のようです。
隣町のお菓子屋のお爺さんはクズの根を掘り出してクズを作り2,3年寝かしてからわらび餅にします。
一寸美味です。
石見銀山も広いのを実感しました。
安心してたら昨日はエラーで今朝はどうかしら?
台風去ったのになぜか昨日午後から雨で夜は雷。今日も不安定な予報です(>_<)
ほんに、歴史の道は、いと面白きかなですね。
何度見ても、摩訶不思議です、飽きませんねぇ。
1000年の昔から繋がっている道ですものね。
我が家の裏山にも、石垣が積まれています。
とんと昔の石垣街道も「人」の成した所業ですね。
そこで、一句です。
☆ 古と つながる命 今ここに
人の仕業人(しわざに) 思いを馳せ
亀婆でした。
ここ数年、行ってないですね・・・
あの葛粉・・くずもち作りたいなあ・・っと思ったことも・・
*秋の空・・とても変わりやすく・・
今日に当たったようですね~。
takaさん、みなさんとてもうまく描けてたと、
寄って言われたわ~~
やどの方では「ナダラ」ててゆーだども・・
温泉津の方では「ハデ」なんですかね?
標準語は稲架(はさ)なんですかね?
佐渡もやどの方も同じ形のようです。
脱穀や乾燥を機械でやるようになって、
懐かしい風景になりました。
登り窯・・温泉津の町外れにありますが、
この日は立ち寄りしませんでした。
↑山小屋さんコメ返をご覧ください。
おかゆにくず粉を入れたもんじゃないですかね。
めちゃ旨いです!
クズは葛餅じゃないかなぁ。ワラビが蕨餅だと・・・?
掘って叩いて冬の寒更し・・大変な作業のようですね。
今は文化の継承で頑張ってるようです。
ヨズクハデ・・今年は早くてまだひとつ。
毎年行ってみなくても・・。
くず粥は今年二度目^^ 通算4度目
こっちは何回、毎年でもいいね^^
絵・・俳画描くにはまだまだだに。。
皆さんは上手いけど・・・。