波根旭山城址
2016年 03月 08日
2月25日、大田市東部公民館の郷土の歴史勉強会第2弾・・・
波旭山城址へ
観潮随筆上巻の石見国安濃郡為福庄波根東村覚書には・・
朝日山城てて出てくるだが、地元の人は言い伝えで
旭山城だててゆーてだげな。
ま・・昔は言葉だけで漢字は当て字だったんだろけ・・
どっちでもいいだないだろか^^
落椿銀争奪を語るやう 歩地爺
でもここも山城、武器の保管もできた砦があったんだないだろか?
標高199m
藪通しで写真にはならず。。
この辺りに三休上人が開いた長福寺があった。
寺のこと語るが如くすみれ草 歩地爺
波根氏の初代は、波根弾正忠泰連。15世は康正さんで東京におってだげな。
・・で、長福寺
一文字に三星
寺宝は元就公の陣羽織
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ごきげんよう さようなら。
この時期のヤブ漕ぎはまだいいですが、もうすぐすると
辛くなります。
石見の鏝絵・・・
見事でした。
おほほ。とんと昔が大好き山姥ですので、
想像の翼がむずむずしちゃいます。
もう一気に、中世にも行きますよ。
ふむふむ毛利氏は、この石見地方に繁栄をもたらしました。それででしょうか、結構、毛利の姓を名乗る人の多きこと。あの毛利元就公の三本の矢の逸話と、アベノミックスの三本の矢とは、「似て非なるもの」ですね。
この時代・・戦国の初期はすべてが山城、
砦みたいなようなもんだったんでしょうね。
藪漕ぎ・・夏はできませんね。病気になっちゃいます。。
石見左官の鏝絵・・丸の内大手門ビルにもあるくらいです。
ごきげんよう。
そうですか。エセ毛利もいるんですか?
関東でも尼子姓の方もいましたよ^^
アベノミクス・・聞いてあきれます。。
「一文字に三星」が三本の矢をデザインしたものかと思っていました。
石見左官・・松崎の左官には負けていないんですよ。
石見銀山はもとより、全国に鏝絵を残しています。
tombeeeが東京にいたころの新しい大手町のビル(名前忘れた)にも立派な壁画があるんです。
へぼ合宿の折り、黍生山のように見晴らしが利くようにしましょうか。
山頂の砦を狼煙で繋げるようになりますよ。