多忙な週末
2010年 11月 30日
三瓶自然館インプリ研修・総会・モニタリング1000(鳥類)に参加
お馴染みの心肺蘇生法。
お馴染みとは云え・・・ポイントがいくつかあって・・・難しい。
救急車が来るまで続けるってのは・・体力が必要ですね。
駅にあるのは知ってますが・・・中身を見るのは初めて。
使い方は意外と簡単。
AEDの音声に従えばOKなんです。
でも、AEDを稼働した後も、心肺が停止してる状態であれば、心肺蘇生法は続けなきゃダメなんです。
・・・・三瓶に場所を移して、シャシャシャンの総会が終わると・・・
キャンプ場の冬メニュー・・・ゴレンジャー鍋^?^
赤レンジャーはトマト鍋 ピンクレンジャーはキムチ鍋 黄レンジャーはカレー鍋 白レンジャーは豆乳鍋 青レンジャーは水焚き^^
では・・・緑レンジャーは・・??
青汁鍋ですよぉ^^・・・ほんまかいなぁ^^
この日は場所を大型ケビンに移して・・・朝早くまで懇親^^
・・・・・・
翌朝・・・曇り空に北風ぴゅーぴゅー(--;
「地鳴きで鳥を聴きわけよう!」のお勉強をして・・・調査に・・・・
なんにも・・聞こえませんね・・・・さぶぅ~~~。
カラ類の声がかすかに・・・。コゲラの声・・・が2回
個体確認とまでは・・・行きませんでした(--;・・・よって写真はなし。。
そして、同日の午後からは郷土史勉強会「久手町百済の鑪(たたら)製鉄所跡現地見学」
ツワブキの花があちこちに・・・・。
この笹群・・・一週間前に公民館職員と講師さんが伐ってくれたんだそうです。
谷を挟んで両側にたたら場が並んでいたようですね。
小さな田舟のような箱舟に砂鉄を積んで引き上げ
できた鉄(ズク)を港に運び、廻船で主として大阪へ積み出したそうです。
たたら製鉄は砂鉄を原料として還元剤の木炭を交互に炉にに入れて鉄を作る日本古来の製鉄法なんです。
写真は副産物の不要な<かなくそ>・・あちこちに転がってました。
奥出雲では5世紀、古事記、日本書紀の時代からたたら製鉄が行われ、三種神器のひとつ草薙之剣を出したほど。
大国主之命・・出雲族が強かったはずですよね^^
11世紀頃までは炭素の多い鋼(武器)の生産・・・
久手のたたらは挑戦百済から移住してきた金屋集団が小川や海の砂鉄でたたら製鉄を営んだんでしょうね。
武器から生活用品へ・・ここのたたらは、1704年~明治20年頃まで180年くらい操業していたとか。
原料の多くは伯耆から舟で運び、松炭で粗鋼を富山へ、製品は九州う・北陸・近畿へってことで廻船も発達。
当時久手浦には180隻の客船(漁船を除く貨物舟)、柳瀬浦にも80隻、西川浦には10隻もいたと云うから・・・
往時は今と違って、大賑わいだったんでしょうね^^
黒船来航により・・鉄の需要が一気に拡大
高炉と反射炉による大規模な製鉄工場が建設され、原料も砂鉄じゃぁ追っつかず鉄鉱石へ・・・
やがて鉄道が引かれ、廻船業も衰退の一途・・・・
鉄道の話・・・鳥井や和江の住民が「岡蒸気は要らない」ってことで大田に行ったとか^^
ここに帆掛舟が180隻も・・・・。
往時が偲ばれます。
野鳥の聞きなし、カラ類は似てるから難しいよね。
たたら製鉄って、少し理解しました(^_-)
なんだか難しそうなので、ゴレンジャー鍋、大型ケビン早朝までだけご一緒したいなぁ~~~(笑)
福屋の城跡の場所がわかったら教えてね。
行って見ようかな~~~。ショボイ殿様だったとは聞いてます。ハイ!
ドンドンと知識が入っていく様、すごいですね~。
久手百済たたらの跡、何かの機会を作って行きたいですね~。
春とか、柳瀬グループで案を出されたら・・乗っかりますが・・・。(笑)
ただ遠い道って写真からうかがえますが・・・。
7日にやっとCT検査。それが1番近道みたいです。。。
滅多に使わないから・・・使うことがあったら困っちゃうけど・・・すぐに忘れちゃいますね。
でも、救急車が到着するまで続けるって、大変んな体力が必要ですね。
八幡・釜石など近代の製鉄所が出来るまでは、島根のたたらが全国の鉄生産量の70%を占めていたそうですよぉ。。
今じゃぁ~貧乏県の一位だけど(--;
はははっはぁ~~~~!!!
ゴレンジャー鍋・・・結構いけますよぉ^^
おりこうなTombeeは1時過ぎには寝ちゃったけど、4時過ぎまでやってたんだってよぉ・・・。。Ayumiちゃんにも若い呑み助にも付いていけないねぇ^^
たたら見学会の後・・・同窓忘年会でもやりますかぁ^^
幹事は当然ウランちゃんしかいないけどね^^
結局開腹かぁ~。。 何ヶ月かの間に、石ちゃんも成長して・・・。意地だいたらぁ~^?^